オナラを笑われた時の安心感【スイスアーミーマンを観た】
自分の自然な欲望に蓋をすること、そんなものなかったかのように振る舞うこと。
それが正しいことだと思っていた。
それが現実だと思っていた。
そんなふうに、友達に隠れて一人でオナラをするようなことって、実は寂しいことです。
でも、ふとした瞬間に出てしまったオナラで他人が笑うとなんとも安心な気持ちがします。
気の知れない人の前ではかなりの恐怖ですが。。自分を塞いでいる蓋を取ったとき、
意外にも楽な世界が広がっていたりする。
それが出来ないのは
肯定感の欠如があると思う。
失敗した時のクッション材、保険のようなもの。
1☆親からの肯定
2他人からの肯定
3自己肯定
↓
私出来る!につながる。
1が欠けていたら初っ端でつまづくことは明らかなのですが。。
※子供が少数派であった場合特に肯定感を与えられにくい。
でも、
自由になった大人の今は、
1が自己肯定から始まってもいいのかも知れない。
劇中、ハンクの妄想の才能は爆発している。
感心してしまう 笑
そして、その異常さが現実と並ぶと、そのギャップに下半身がスースーするような感覚を覚える。
もう、この社会では生きていけないのでは、、::
というくらい。
そうなのです、
はじめて人前でオナラをした時の感覚。
どうにも動かない現実のような感じ。
でもそこでフフッと笑ってくれただけで、最高の気分になれる。
本当の自分と現実が重なる瞬間を、誰かが温かく見ていてくれること。
それを、安心感というのだと思いました。
上下の価値基準と左右の価値基準
何かを褒める時に、
何か得意げな気分を感じることがある。
なんか、自分のことでも無いのに得意げだなぁ、と他人に感じることもある。
例えば、
バームクーヘンが美味しいよ。
と勧めた時に、
感想
上 美味しい!
中 普通だね。
下 不味い。
で表すことがあります。
この、普通って何!!?
美味いか、不味いだけで良いものを、
「私はもっと美味しいものを知ってる。」
と自分の感性の確かさをひけらかしているようにも見えます。
いや、お前バームクーヘン食ってるだろ、美味いんだろ!と思ってしまう。
繊細な味に気付いて自分の中で見分けがつくことはとても貴重なことだけど、それで人を見下げたり見上げたりすることは、無駄なエネルギーだな。
私も、賢い人は怖いし、自分に似た人は安らぐ。そんなフラットじゃない反応をどうしてもとってしまうのがつらい。。
もっと
好き、嫌い
美味しい、不味い
面白い、面白くない
の左右の価値基準でものを見れたら
面白くなると思う。
【ただの連想】人の区分けは自分でしたい
今会社に海外からインターン生2人が来ているのだけど、よく「彼女たちは」と耳にする。私は、名前で呼ぶか「2人は」としか言いたくないことに気がついた。
この「彼女たちは」にはなんか、
あっちとこっち、のような
区分けして諦めをつけている感じ。
あとこれは余計だけど、海外の方に日本人が使った場合英語っぽい気取っている感じがある。(ここの私は歪んでんな:)
私は影響されやすいので、
あの人が一目置いてる人、、とか言われるだけで自分の目がくぐもってしまう気がする。
私たちは人を分類して、グルっとくくる。
そして、それに巻き込まれざるを得ない。
区分けはとても参考になるし、安心感を与えるものだし、おもしろいものでもある。女ってこういう生き物。中国人が嫌い、、とか
宇宙には私たちの太陽系だけでも2000億個の星があるらしい。世界の人口は73億人。
人間
女
日本
日本語
B型
春に生まれた
おおまかだけど、たくさんの分類に私は所属している。色んな所属がたくさん重なっていくうちに、私の星の住所につながる。
広い宇宙で自分の星はほとんど特定できずじまいで、孤独だ。自分の住所さえよくわからない。人は点。
区分けの先に私はいるらしい。
この前、目が怖くて、理解が難しい人がいて頭を抱えてたら
「色んな人と話してないからだよ」と怒られた。
そうだね。
頑張ってみよう。
私は、他人が決めた区分けなしで、相手を私の心で祝福したい。
静かに、着実に、大切なものを取りこぼさないようにしたい。
いや〜修行だ。
今日は肉まんでも作る。
否定の気持ちはすべて幻だった!?
「私の考えが一番正しい。」
どれだけ自己肯定が低い人でも、
「なんであんなこと言うんだ (怒)」
と言う具合に、
私たちが大あれ小あれ、思ってしまうことだと思います。
この否定の気持ちにはちゃんとメカニズムがあって、
他人を否定すること(他人と自分を区別すること)
で人は自己を保とうとする
らしいです。
でもこれ、“誰もがそれぞれに思ってること”だとしたおかしなことです。
だって、みんな「私が一番正しい!」とそれぞれに思っているのだとしたら、この否定は“私だけが見ている幻”ということになります。
本当のところ、
私は、あの親で、この体で、あの環境で、あの人がいて今の状態や考えにたどり着いて、
裏の裏の裏の裏をかいたって、
悔しいけど、これ運命、
私の今この瞬間の感情や行動の選択はどうにもならない。
同じように、他人の今もどうにも動かせない。
私の大好きなクロマニヨンズの
南南西に進路を取れ
という曲の中に出てくる
同じじゃなくても
ひとつなんだ
ひとつなんだ
というフレーズがたまに頭に浮かびます。
他人への否定が幻だと分かれば、
この甲本ヒロトの言葉に心が暖まるような気持ちでいられるのでは、と思うのです。
そういえば、
私が今まで困るのが、褒められた時でした。
否定で自分を保っていたため、急に地面がなくなるような不安を覚えるのだと思います。
他人の感じたことは、
自分でみることのできない自分の背中側。
良い言葉も、悪い言葉も
けして間に受けず、突っ返さず、
いったん受け取る。
※あまりにストレスになる言葉からは否定ではなく、逃げなければいけませんが。
否定って、怒ったり、傷つけたり、微妙な気持ちになったり、よいことないです。。
ということで、
他人を否定する気持ちは幻。
修行1
“他人への否定は一切断つ”
というのを今日からやってみようと思います。
記憶力のない人は逆に諦めるとすっきり♪
長期的に定着した記憶をエピソード記憶というのに対して、一時的な記憶を短期記憶と言うそう。
私のようなナマケモノは、興味のないことへの記憶の定着率がすごく悪い。
ひどい。
「え、そうなの?」
を連発して、呆れて諦められること、しばしば。
無理やり記憶をするには反復する必要があるけれど、そんなの時間がもったいない。
だって全然ワクワクしないし楽しくない。めんどくさい( ;∀;)
この特性は、もう
決断が早すぎるが、、
↓
諦めるしかないのだ!^^
発想を変えて、記憶をしなくても済むような「仕組み」を作ったほうがはやいのかもしれない。
すなわち、メモを。
脳に保存すれば、スーパーファミコンのセーブみたいに、使わないうちに絶対←強調、消えてしまうと割り切る!!!
はぁ、、、馬鹿みたいだが。
メモの癖は私に必須。
がばしょ。(頑張りましょう)
ストレスは、儲けもの。
「あ〜あの時あんなこと言ってしまった」
「あ〜あんなこと言われてムカつく!」
こんなどうしようもない感情は、どんなに苦しくても何回も寝ると消えてくものだし、周りから見ている分にはさらに何ともないもので、フッと湧いては消えてくもの。
感情は浮かんでは湯気のように空気の中に消えていく。
でも、その自分から発せられた湯気はまぎれもない本当のこと。
『落ち込んだり、悩んだりすることはダイナミズムだ。』
とかいう甲本ヒロトのことばにハッとさせられた。
‘’それをとらえること”
怒ったり、悲しかったり、嬉しかったことも。
自然な感情は貴重なもの。
でもそれは湯気のように消えていくもの。
熱いうちにしっかり向き合って、形をデッサンしたり、言葉にしたり、、
すべてが、いつまでも「何となく」でしかない私だけど、
その瞬間だけは何か確信を持てる瞬間な気がします。
閃くしくみ
こんにちは、格言をうまく飲み込めない、おかえりです。
トーマス・エジソンのことばに、
天才は「99パーセントの努力と1パーセントの閃き」というのがあります。
いくつかの解釈があるようですが。
初めてこの言葉を見たときの私は、嘘だ!と思いました。
その時の私は、努力=純粋な閃きを奪ってしまうものだと思っていたからです。
私が今感じていることは、「努力の中にある共通点=閃き 」という事です。
つまり、努力100パーセントです!
しかし、心配することなかれ、そこには、途方がちゃんとあるし、苦しいことでもありません!
私が思う、閃きを手に入れる方法をご紹介します。
□自分がない人こそ、
閃きを見つけられる人
努力=純粋な閃きを奪ってしまうもの、と思っていた私。つまり、自分らしさを求めていた私。
しかし、思い返して見ると、高校生の頃ライブで心を奪われたミドリの後藤まりこの評価で戸川純を聴き出したり。センスいいなぁと尊敬する友達が聴いてる音楽を好きになったり。染谷将太が好きな、フィリップシーモアホフマンが好きになったり。
このように、私には自分がない。
しかし、そうしているうちに、好きになるものの共通点が見えてくることを知りました。
例えば、アイポッドのシャッフルとか聴いてたら全く違うジャンルの音楽でも、共通点を見つけて感動することがあります。
それが、100パーセントの模倣の中に1つの自分をふと浮かび上がる瞬間なのです。
実は、自分は探してもどこにもいない。
共通点を見つけることでその、透明人間の形が浮かび上がることがあるのです。
□自分にこだわらなくても、
閃きは消えない
本を読みすぎるとその考えに洗脳されてしまうのではないか......と不安になることがあります。
しかし、自分=共通点
という考えの中では、知識や模倣=大切なデータということになります。
データが、あればあるほどくっきりとその特徴が浮き彫りになってくるものです。
自分が向かってる課題について、
魅力に思う点を掘り下げたり、その道の尊敬できるプロから学んだり、なるべくたくさんのデータを集めましょう。
データを集めるとき大切なのは“魅力に思う”“尊敬できる”という点です。
そんなルールに沿ったデータ集めは、楽しいものです。
□まとめ
とにかく、閃くためには、なるべくたくさんのデータが必要不可欠です。
データは
自分の好きな人(もの)から頂きましょう。
そんな努力なら私にもできる気がして来ます。
楽しく、貪欲に、データ集め頑張りましょう
。そうすることで、気持ちのよい閃きの瞬間を手に入れることができます。
どんなに小さな閃きも、自分にとっては宝ものになってくれます。