オナラを笑われた時の安心感【スイスアーミーマンを観た】
自分の自然な欲望に蓋をすること、そんなものなかったかのように振る舞うこと。
それが正しいことだと思っていた。
それが現実だと思っていた。
そんなふうに、友達に隠れて一人でオナラをするようなことって、実は寂しいことです。
でも、ふとした瞬間に出てしまったオナラで他人が笑うとなんとも安心な気持ちがします。
気の知れない人の前ではかなりの恐怖ですが。。自分を塞いでいる蓋を取ったとき、
意外にも楽な世界が広がっていたりする。
それが出来ないのは
肯定感の欠如があると思う。
失敗した時のクッション材、保険のようなもの。
1☆親からの肯定
2他人からの肯定
3自己肯定
↓
私出来る!につながる。
1が欠けていたら初っ端でつまづくことは明らかなのですが。。
※子供が少数派であった場合特に肯定感を与えられにくい。
でも、
自由になった大人の今は、
1が自己肯定から始まってもいいのかも知れない。
劇中、ハンクの妄想の才能は爆発している。
感心してしまう 笑
そして、その異常さが現実と並ぶと、そのギャップに下半身がスースーするような感覚を覚える。
もう、この社会では生きていけないのでは、、::
というくらい。
そうなのです、
はじめて人前でオナラをした時の感覚。
どうにも動かない現実のような感じ。
でもそこでフフッと笑ってくれただけで、最高の気分になれる。
本当の自分と現実が重なる瞬間を、誰かが温かく見ていてくれること。
それを、安心感というのだと思いました。